大学での和裁授業を受け持ってみて。

2021年度・2022年度と2年間受け持った和裁の授業。
20歳の学生に和裁を教えてみて感じたことをここに残しておこうと思う。

浴衣
学生が縫った浴衣

和裁の授業があることは素晴らしい

私が受け持っていた大学(短大)では、工芸コースの中の授業科目に和裁があった。
洋裁の授業をほんの少し経験した生徒たちに和裁を教える。学生たちは前期の授業で13メートルの反物を自分達で染め、後期に開催される和裁の授業その反物を浴衣の形にすることが目的。

素晴らしいと思う点は、“和裁”が授業科目の中に入っていると言う点。

私は社会人になり着付けを習うまで、和裁という言葉を知らなかった。あの時、着付け教室へ通っていなかったら未だに和裁という言葉を知らないままだったかもしれない。着物=日本の伝統衣装という認識はあっても、日常の中に着物を着る選択肢は無かっただろう。着物=儀式、着物=伝統という感覚から脱することは無かったかもしれない。

興味のある人だけが和裁を学ぶ・楽しむのではなく、興味のない人にも和裁を経験してもらう半強制的な機会が人生の中のどこかにあると言うのは、良いと感じた。

浴衣
学生が縫った浴衣

興味のない人に和裁を教えることについて

きっと学生の大多数は授業科目に和裁がなければ、あえて着物を縫う経験することがなかったのではないかと思う。授業の中では着物を縫うことを“楽しい”と言ってくれ、本当に作ること事態を楽しんでもらえたのは嬉しかった。

途中、楽しくない、めんどくさい、と思うこともあったかもしれない。授業だから、単位を取らなければいけないから、という義務感から取り組んていた部分もあるかもしれない。それでも腐らず最後までやりきってもらえたことはとても嬉しい。

プラスの感情(楽しい)と、マイナスの感情(めんどくさい)。どう感じてもらっても構わない。
着物を縫い、自分でコーディネートを考え、着用した経験について、ないかしらの感情を残してもらえらた嬉しいと思った。

感情が残ることは、着物について一瞬でも考えてもらえたことになる。
人生の中で着物を着る機会がきた時に思い出してもらえるかもしれない。何か話の拍子に、昔浴衣縫ったな、と思い出してもらえるかもしれない。それで良い。

この授業を通して、何か感じてもらえたら嬉しい。

浴衣

授業について

私の授業のゴールは、自分で縫った浴衣を着用し、発表して終わる。
浴衣を縫う工程は毎週の授業で教えるが、仕立て上がった浴衣をどう着るのかは学生の自由としている。

オーソドックスな浴衣の着方をする学生もいれば、パーカーの上に浴衣を着用し帯の代わりにロープを使う学生もいる。どう着るのかは自由で良い。

縫ったものを着用して初めて“着物”になる、と言うのか私の考えなので、学生にもそれを経験してもらっている。
どう着るのか(コーディネートをどうするのか)、着るために何が必要のか(腰紐や帯など)、洋服と着物の違いはどこか、縫ってきた過程でその違いはあったのか。インターネットで色々と検索したり、動画を見たり、なんでも良いから着物について考えてもらう。そしてどう感じたのか発表してもらう。着るのが面倒だった、コーディネートを考えるのは楽しかった、など。“自分で縫った物を自分で着用する”ことを経験することはとても大切だと思っている。

この短大での授業は今期で終わるが、また機会があればぜひ和裁の授業を受け持ちたい。その時もまた、縫った浴衣や着物は必ず最後の授業で着用してもらおうと思う。

学生たちの着用姿

学生と大学に許可を得て掲載させていただく。

この記事を書いた人

KOTARO

現役和裁技能士が「仕立てと着姿」をテーマに、どんな寸法で、どんな仕立てをすると、どんな着姿になるのか、自分自身の身体で検証しています。