KOTAROストーリー


「和裁」を知るキッカケとなったのは、大学の卒業式でした。
自分の袴姿を見て、初めて「綺麗」だと感動したことが始まりです。

「着物は太って見えるし、着ていても苦しい。
着物を着ていると、周りの人から見られて、恥ずかしい。」

そんな意識の私の運命を変えたのは、
当時70歳を超えていた、着付けの先生でした。

そこにあったのは、人生楽しいことだけじゃなく
嫌な思いも、苦しいことも経験してきたことが滲み出ている
美しく、綺麗な、人間味のある、着物姿の先生。

それまでの私は、
自分の好きなこと何なのかもわからず
物事に対して真剣に考え抜いたこともない
子供のままの未熟な生き方をしてきたこともあり

先生との出会いは
「私が私の人生を生きていく覚悟」をさせられるほどの大きな物でした。

「先生のように生きられたら、私の人生も変わるかもしれない」

大学卒業後、一度、一般企業へと就職をしました。
でも、あの袴姿の感動が忘れられず
「心から好きだと思えることで生きていきたい」
思い切って退職する決意をしました。

それから10年。

「和裁」という言葉すら知らなかった私は
和裁学校を首席で卒業し、プロの和裁技能士となり
卒業後、創業100年を超える呉服屋さんからお仕事をいただいたり
富裕層の方を顧客にもつ呉服屋さんからお仕事をいただくこともできるようになりました。

今ではプロとしてお仕事をさせていただいていますが
「着物で生きていくんだ」という決意をしてからの、始めの2年は
暗闇の中をもがくような、息をするのも苦しい毎日でした。
寝る間も惜しんで、縫い続ける、孤独との戦い…

「会社員を辞めて、着物に決めたのは正解だったのか…」

それでも、「3年で卒業し、独立すること」という目標を掲げていた私は
誰よりも縫い、誰よりも新しいことに挑戦しました。

目標を見失うことなく、貫き通せたことは
私の目指す「精神性」にも近づけた、大切な経験になっています。

和裁修業時代に仕立てた枚数は、3年間で約600枚。

特殊物と呼ばれる「綿入れ」「子供物」「特殊衿コート」「袴」など
たった3年間で習得することが出来ました。
卒業後、自分の結婚式に着る白無垢を、自分で仕立てることもできました。

女物、男物、子供物、長襦袢から着物、羽織、コート、帯まで
巾広くした手を学べたことは、私の宝物です。

しかし、3年間で習得した和裁の技術は、それで終わりではありません。

1日16時間以上縫い、休みは年末年始のみ。
それでやっと「基礎を身に着けたレベル」と言われる世界です。

私が着物を通して伝えたい世界は、まだまだ先にあります。

現在80歳を超えている着付けの先生が、まだ30代だった頃
着付けを習うためだけに、岐阜から京都まで
何時間もかけて通っていたというエピソードがあります。
私はそういった姿勢の一つ一つに感銘を受けてきました。

私も自身の和裁教室をもって6年が経ちます。これからやりたいのは、
実物大の物を仕立てる教室ではなく、着物の構造だけを学ぶ和裁教室。
反物から着物になるまでの過程を、縮尺した反物を使て学んでいただきたいと思っています。

主に、着付け講師の方や着物販売員の方など
構造を知った上でお客様にアドバイスができると、より深いアドバイスになると考えています。
和裁のプロを目指すのではなく、和裁もわかる着付け講師、和裁もわかる販売員です。

私が先生の精神性に惹かれ、感銘を受け、着物を通して人生を学ぼうとした決意。

それは、これからの社会にとって、
好きなことをすることの大切さ、人生を楽しむことの大切さ、
未来はいつも希望に満ち溢れている…


そう伝えることが出来れば、大人が輝いていれば
子供たちもきっと生き生きとしたまま大人になると思います。

私が伝えるビジョン
「己を見つめ、価値を創造し、自由に生きる」
の実現のために、また一歩、進んでいきたいと思っています。

2019.05.22 若松 美紀

メディア掲載

季刊きもの 2014年春号